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敗者復活

2021年02月11日
コロナ失業した

充実していた8年間 (もう感謝しかない)
永遠に続くことはないと
いつかは終わる日が来るのはわかっていながらも
不意に訪れた想定外の事由で絶たれると
茫然自失感がスゴイ

震災の時は誰もが意気消沈して
もし途が閉ざされても仕方ないと
父逝去で一気に押し寄せた諸々も
どんな無理してでもこなさなきゃならない場面もあると
覚悟したけど

今回のコロナだけは、今でも腑に落ちない
無傷の人は、いつどんな時でも穏やかに前向きで、みたいな
綺麗事を自分以外にも強要するかのごとく
かすり傷の人は、さっさと見限って次を探せと
捨て台詞を吐かんばかりで行ってしまう
うちで踊ろう?犬を抱いて寛ぐアピールは
職を失って焦りながらも引きこもるしかない状況での
感情を逆撫でした
ブルーインパルスは眩し過ぎた
他人を羨む気はさらさらないけど
置き去りにされたみたいな…震災被災者の心情を痛感した

転んでもタダじゃ起きないつもりだった
音楽も職も、こんな理不尽に奪われて
生命維持だけのために、やりたくもない仕事なんぞ出来るもんか
必ずしや新たなライフワークをみつけてやる
しかし、それ以前に
いつのまにか、転んだら起きれなくなってしまっていた
子宮内膜症悪化ゆえんの腰痛が酷く、外脛骨障害も加わって
一日に歩ける&立てる時間が限られてしまう
なるべく自転車で移動出来る範囲で、短時間でも可能な深夜高時給か
薄給でも自分ペースで出来る、やり甲斐のある仕事を…


母を東京の施設に呼び寄せて
その調理場で働けたらと思っていたが
近くの特養では、ペースト食にする時点で気持ちが挫けてしまう
出張料理代行では、炎天下の行き帰りでバテてしまう
唯一みつけた男子寮まかないパートは
短時間過ぎて家賃は払えないのはわかっていたけど
兼業見つかるまでの間、日銭を稼ぐためにしがみついた

しかし追い討ちをかけられるかのように
ワケワカラン時短要請で、飲食店バイト副業の道は絶たれてしまう
しかも2度目ともなると、正規だけでも79万人もの飲食失業者は
一斉に身の振り方を考えるだろう
求人はいくら応募しても返事はなく、そのうち皆無になった

クリスマス翌日、年末最後の賭けで面接に行った
案の定、殺到してるらしく即決はもらえなかった
もうこれでダメなら他の道を探すしかないけど
何の意欲も湧かず、アテもなく途方に暮れたまま
年が明けて、誕生日をやり過ごした頃、履歴書が戻ってきた
やはり、どんなに人手が足りなくても
やりたい気持ちは強くても、資格が無いと弱い仕事は仕方ない
割り切って諦めかけた矢先、電話をいただく
脳梗塞&骨折で倒れてしまった2人分の穴埋めに…
思わず「やります」即答する
ギリギリのトコロで、まさに敗者復活を遂げた気分だった

喜べない状況下での幸運は複雑な心境だけど
新たな‘やり甲斐’が、猛烈なプレッシャーの中スタートした
今は、がむしゃらにこなしながら
いつの間にか乗り切れるよう祈るしかない


まさかこの歳になって、異国の王子様とオジサマにハマるとは…

ディマシュ・クダイベルゲン
カザフスタン出身26歳、驚異の怪物シンガー
長身(なんと190cm!)イケメンなのが、かえって気にくわないけど(笑汗
その圧倒的な歌唱力と操れる12言語で
世界を股にかけて活躍するべき、全人類の希望の星
それなのに…


オリンピックには何の興味も無かった
コロナで世界がおかしくなるまでは

自国の災害復興さえ満足にいかないのに予算を注ぎ込んで
わかってる酷暑や環境悪の下で、なにがおもてなしだか
やりたいブルジョワだけで勝手にやればいい
スポーツ選手には申し訳ないけど、そんな風にしか思えなかった
今でも中止になればいいと思ってるくらいだけど

日本でのコロナは、欧米とは違いラッキーだった
それは決して自粛のおかげではなく、BCG日本株のせいなのか
まだ解明されていない「ファクターX」何かしらの要因が重なりあって
日本は欧米のようにはならなかった
運良く難を免れた
それなのに…

なんなんだろう、このトンチンカンな自粛の有り様は。
若年層に理不尽な我慢させてるのにもかかわらず
いい歳こいた大人は歓楽を我慢出来ず
高校野球も修学旅行も中止になったのに
何がオリンピックだ
せめて自国の若年層の夢や希望を
いや基本的な生活だけでも、まともに戻してから言ってくれ

そんなコロナ失業中のヤサグレた心を、一気に虜にした
https://youtu.be/8k1AHMxq-0g


ワタシはどうしても、表現者だけでなく作曲者に魅かれることが多い
イゴール・クルトイ
ロシアのポップス界重鎮コンポーザー&プロデューサー
https://youtu.be/0RY_WnexR9g
ピアノ越しディマシュを見つめる視線
な・ん・て・イ・ケ・オ・ジ・な・の❣️
これはもう、直に体験するまでは、死んでも死に切れない


現金なモノで(?)
日本のオリンピック開会式で
ディマシュとイゴール様が‘Orimpico’を演ってくれるのなら
開催してもいいと、割と真剣に思っている

世界中どこもコロナの惨状は
若者たちの夢や、あたりまえの生活さえ奪ってしまったけど
日本でなら出来るよ
スポーツも、音楽も、思う存分
沢山の観客に囲まれて、持てん限りの力を発揮して欲しい

もちろん先に自国の若者たちを通常に戻すのが絶対条件だけど


イチ失業者の世迷言?白昼夢でなく
正夢になりますよう…いや、現実にならんことを
切に願う

子供の頃から
喘息だったり、抗生剤を飲み続けなきゃならないと
元々病弱なのに、さらに抵抗力が下がる。
風邪やインフル流行の時期は、とにかく拾わないよう
持病持ちの「自粛」は当たり前だった。

感染しやすそうな、怪我しやすそうなこと全て
体育の授業は見学か保健室、遠足も部活も不参加
市大病院に向かうバス停で
修学旅行のバスを手を振って見送ったことも。
階段を登っただけでマラソンフィニッシュのように息が上がると
登校も出来ず自宅療養が続いた。

仕方ない。


皆さんはインフルエンザにかかったことはありますか?
タミフルやリレンザ飲み切るまで
一週間は仕事を休んで自宅にこもりますよね。
治りかけでも、外に出る用事があったら
マスクして人に移さないように、咳エチケットも当たり前。

今回の全国民総自粛は、奇妙な夢を見てるよう

インフル治りかけ
マスクしてコンビニに買い物出たら
自分だけじゃなく、道歩いてる人もみんなマスクしてる。
(今そんな蔓延してるのか…)
インフル明け
まだ一応マスクして仕事に出ると、みんなマスクして仕事してる。
(あれ?みんなもインフルだったの⁈)
…まだここまではいい(というか見慣れた光景になってしまった♭)
休みに旅行に行くと
山でも海でもみんなマスクしてる。
(⁈⁈⁈なんだこれ、もしかしてTrue Man Show⁉︎)

熱出ちゃって遠足行けないの
「じゃあみんなも行かない、遠足は延期」
(え?ワタシのせい?なにもそこまでしなくても…)
怪我すると悪化しやすいから体育出来ないの
「じゃあみんなも体育中止、運動会も中止」
(いやいや、そんな、いくらなんでもやり過ぎでしょ⁉︎)
と思ってたら、それだけでなく
「運動場も使用禁止。学校は当分閉鎖。
みんな机の中の物は持って帰って、安全が確保されるまで自宅待機」
気がつくと、店も、公園も、なにもかも、
それも地域周辺だけでなく、全国一律総自粛なんて…

みたいな感覚だ。悪夢以外の何物でもない。


そりゃ無症状のまま
潜伏期間が長い&異様に感染力強いから
持病持ちでなくても、過剰なくらい
徹底予防しなければいけないのはわかるし
ひとつだけ…
感染を広げないために気をつけなければならないことを
多くの人が理解し
注意出来るようになったことだけはすごくいい。
おかげでインフルは激減したし、
体調悪ければ休む、他人にうつさないようにする
という当たり前も定着した。
ウチの仕事場でも以前は、どんなに口酸っぱく注意しても
風邪くらいじゃ休めない、マスク無しで(自分が花粉症の
時はするくせに)ケホケホして周りの人にうつすとか
ノロや食中の怖いニュース(ポテサラで
子供が死んで店閉鎖になったとか)が流れても
手も洗わず使ったトングを料理の中に落としたまま知らんぷりとか
自分よければ他知らず、なのはどこにでもいて
さすがにこれを機に
意識を変えなくてはいけないのは充分わかったはずだ。


しかし、それにしても
弱者に合わせて警戒し過ぎ or
弱者以上に無闇やたらと恐れ過ぎじゃ?
全国総自粛の意味がわからない。
いくら未知の新ウイルスだろうと、あらかた傾向はわかったはずなのに。
子供はコロナでは死なない。
隔離するのは、高齢者や持病持ち…自衛が必要な人だけでいい。
閉鎖するのは、風俗などの歓楽街、
人が密集して接触する、急には不要な業態だけでいい。

なにが原因であれ
いずれ人は死ぬ。高齢ならなおさらだ。
なぜコロナ死だけ過剰に全国民総巻き添えを食わなければならないのか。



しかしこの分だと
都心はかなりの長期戦になりそうな気がする。
もし出来ることなら、有効な薬やワクチンが認可されるまで
自衛が必要な高齢や持病ある希望者を
医療受入れ余裕のある地域に避難隔離閉鎖、
リスク低い年齢層や感染少ない地域は
徹底予防や3密避けをもちろん継続しながら、段階解除してほしい。
山や海や花や公園の遊具を
リスク低い年齢層を犠牲にしてまでの全国総自粛は
自然の摂理と程遠過ぎる。こんなのは人間のエゴだろう。
https://twitter.com/livedoornews/status/1251700479685349377?s=21
都会と足並みを揃える必要なく、出来る限り健全に過ごして欲しい。

都会だけをロックダウン出来ないのなら、
希望者を避難隔離し、住み分け後に段階解除出来れば、
これまでに培った全国の労(感染を広げないよう
徹底予防すること)も報われ
休校延長や9月始業などを考えるよりも合理的で
もし万が一、2波3波来たり
悪化する事態になったとしても、対処しやすいのでは。

いつ終わるかわからない悪夢に、
全地域全年齢層が巻き添えにならないためにも。


願わくば、一番望むのは
そこまでいかないうちに
夏の気候でコロナが弱まるか
有効な薬やワクチンが認可されるか…
今はとにかく医療機関の回復を切に祈るしかない。

震災の後しばらくして、復興ソングなるものが作られた。
関係者や好きな人には申し訳ないけど
全く心動かされることは無かったはおろか、耳にするのも苦痛だった。

何故だろう
同調する必要はないとわかっていながらも
やりきれない気持ちを押し殺し
そういう音楽の場や人を避けるようになっていった。
上から目線?なんとでも言ってくれ。
幸い、取って代わって料理の仕事にのめり込みながら
逃げるように、辛く感じるモノから耳を塞いでいた。


『答え』があった。
https://youtu.be/zFyndK9VOCk
打撃を受け、灯りを失い、誰もが心許なく彷徨う中
共有したいものは、新規に充てがわれた指標ではなく
古くから万人に親しまれ受け継がれてきたもの。
それを圧倒的な実力者が総力合わせ、渾身の表現を発揮する。

究極のカバー。心から羨ましく思った。

父逝き、母壊れ

2019年12月05日
8月18日夜、父が死去した。
悲しむ間も無く、母が壊れ…緊急措置入院となった。


父危篤の留守録に気づいたのは、まかない仕事が終わった後だった。
一瞬、夜行バスで、とも考えたのだが、あまりにもタイト過ぎる。
仕事終わりの汗だくヨレヨレで、頭真っ白なまま
自宅に戻り、風呂に浸り、アイスを食べながら考える。
最期かもしれなければ、父には娘のなるべく良い姿を見せたい。
場違いなサンドレスで
朝イチの新幹線で、酷暑の名古屋に向かった。

父は拍子抜けするほど回復していた。
点滴片手に病院隣のファミマに行きたがるくらい。
母と妹が所狭しとベッドサイドに腰掛け、喋って笑っている。
恐らく30年ぶりに家族4人が揃ったのを
ワタシは他人事のように眺めていた。
「薬を飲み間違えてなぁ」
戯け口調だけど、黄疸で全身真っ黄色な父を見て、
たぶんあともう少しで死ぬだろうことを悟った。

父と母に、コンビニ行ってくる、と、はぐらかし、
妹を引っ張って、真っ先に医療相談窓口へ行く。
妹は統合失調、私は満身創痍…
自分の医療費もろくに払えないギリギリの生活。
母は認知症の始まりなのか、妄想の気配が出てきている。
(いや、本当はもっと深刻だったのに気づけなかったのが
のちに大変なことになるとは…この時は知る由もなかった)
入院費はどれくらい?もし母のほうが先に壊れたら?
二人とも後期高齢者なので上限があることや、
地域の包括センターの支援があることを知る。
担当医からの第一連絡者を、母でなく私に設定してもらう。

筋金入りの夜行性が、酷暑の日中に
無知で世間知らずが
親の死や役所の手続等をどれだけこなせるだろう。
御守代りの加味逍遙散だけが頼りだった。

父は一時退院の見込みがつき、私は一旦仕事に戻ったものの
3日後やはり急変し駆けつけることに。
(その間も母の妄想は悪化していたにもかかわらず
私達姉妹はまだ信じられず、受け入れられずにいた)
新幹線で到着が夜になったにもかかわらず
担当医師が話すために待っていてくださり。
「薬剤性にしては数値の悪化が速すぎる。
稀有な悪性リンパ腫の疑いがあるけど
体力的に検査に耐えられないかもしれない。」
父は治る気満々なのだ。先生から告げることはしないという。
「もう歳なので覚悟は出来ています。
ひとつだけ、あの…緩和ケアって出来ませんでしょうか。」

翌日、個室に移してもらえた。
朝型の母は、止めても聞く耳持たず
酷暑の中、タクシーで病院を往復し
まだ眠く横になったままの反応悪い父に一喜一憂していた。
(母はこの頃から拒食が始まり、妄想があからさまになっていたが
それでも非日常の中だから仕方ない範疇だと思ってしまっていた)
ワタシは日が落ちてから(それでも名古屋は連日熱帯夜)
母とは別行動で、父の自転車をトロトロ漕いで、時間外面会に行く。
父も私も筋金入りの夜行性なのだ。

YouTubeが大活躍した。
リクエストに応えて、昔のTV映像を流すと
バタヤンと一緒に『大利根月夜』を大きな声で歌って
「看護師さん入ってきたらビックリするで」言ったら笑っていた。
たくさん話をした。肝心なことは何一つ話さなかった。

遺すとしたらメッセージではなく
心弾む愉しい時間を共有できること。
私が父に似たのは、そういうトコロなのかもしれない。


一方、台風で外出出来ない日は
母に知られないよう、黙々とセルフ葬を調べていた。
https://guri.hatenablog.jp/entry/2015/12/06/224350
運転免許が無く車移送の諸々で諦めるしかなく
仕方なく最安の直火葬を問い合わせることになったのだけど
たまたま偶然なのか、とても頼りがいのある葬儀屋さんにあたり
(出来ることなら違う場で知り合えたら良かったと思うくらい)
火葬一連のみならず精神的にも何もかも、本当に良くしていただいた。
http://kasugai.sousiki.click/index.html

最後の日
午前中に病院から電話が入り、夕方には妹も間に合った。
父は鼻の酸素だけ残して、点滴や一切の管から解放されていた。
姿勢は楽かなど、聞くと応答はあるものの、もう話は出来ない。
先日の『大利根月夜』をかけると、母は「消して‼︎」と泣いた。
父の呼吸が荒くなる。
ワタシは、喘息発作で呼吸が苦しい時、自分の喘鳴を聞きたくないこと
静まり返った中で、母の泣き声を聞かせたくないことを説得し
TVで高校野球ダイジェストをかけた。
妹が、浮腫みあがった父の足をオイルマッサージする。
ワタシは、綿棒のようなスポンジで、
昨夜リクエストのヤクルトを口に含んでもらう。
「カロリーハーフなんて出とるんや、知らんかったな」
「ヤクルトは口渇くで水にしよか」
そのまま、無反応のまま
ドラマみたいに、ピーって音が小さく鳴り続け
その音を止めたいのに止め方がわからなくて、機械の電源を抜いた。
いつの間にかTVは騒がしいバラエティーに変わっていた。
TVを消したら、本当に全部、終わったみたいになった。

しばらくして医師が確認に来た。
解剖を希望され、一瞬迷ったが断った。
葬儀屋さんに電話をする。
「あの、先日お問合せした者ですが…」
一瞬間があって、少し驚いた反応だったけど
すぐに心強くフォロー&アドバイスしていただけた。
母と妹が見守る中、看護師さんに教えてもらいながら
死に水を含ませる。ヒゲを剃る。
リースの寝巻を脱がせ、真っ黄色な身体を拭き
ほんとは着慣れたので送りたかったけど
着せるのがかなり大変そうなので、やはり装束を着てもらう。
黄疸を隠そうと、看護師さんがファンデを用意してくれたけど
「直火葬で、誰も棺を開けて顔を見ないので、そのままで大丈夫です」

病院の受付に死亡診断書をもらいに行く。
まもなく、電話で言われた通りの…ちょっとハッとするくらい
かなりエンタメ向きな(実は自宅焼けという笑)黒い大男が
衣装(笑)でビシッと迎えに来てくれたのが、とても頼もしく
一瞬、緊張が解けたのが、とてもありがたく嬉しかった。
仕事柄、場所柄、笑顔は望めないのだけど
こんな時でもワタシは少しでも明るい何か…
救いの光のようなものを探してしまう。
不安に満ちた大人達に囲まれた中
泣き出してしまいそうな子供と同じなのかもしれない。


死後24時間経たないと火葬出来ない。
かつ、市内の火葬場は友引は休みで
どうしてもなら市外へ運ばなくてはならない。
盲点だった。
仕方なく2日後まで、ワタシはエアコンの無い父の部屋で過ごした。
母の部屋から、着るモノが無いとオロオロしたり
妹が病気のせいか、必要以上に攻め口調なのが聞こえる。
金庫の整理をしていると、
父の名前での心療内科の診察券が出てきてハッとする。
そういうことだったんだ…ね…
「オカンはいつもの青の上下でいい。
誰も呼ばないし、何も気にしなくていい。
ウチはそれでいい。一切ムリしなくていいから」
もういい。もう何も出来ない。
母と妹が衝突しないことだけ気を張りながら、漠然とやり過ごした。

酷暑の中、火葬場へ。
全員頭を下げて柩を見送る中、
ワタシはサンドレスで突っ立ったまま
火葬炉の扉が閉まるまで柩を目で追って、小さく手を振った。
係の方に骨上げを促されたけど「いいんです、私たちでやります」
母は黙りこんだまま小さくなっていた。
感情を殺して、誰も泣かなかった。


死後手続きや
母の高齢者一人暮らし物件のアテをつけるため奔走しながら
週末いっぱいまで、母と二人で
なるべくのんびり過ごしてるよう見せかけつつ
早く食の仕事に戻りたかった。
黙々とピアノを弾き、たまに誰かと会う…
あたりまえの日常を渇望していた。
でもあの時、あともう一週間だけ
母のそばにいて話を聞いていれば
こんなにまでならなかったのかもしれない。
窓から見送ってるのを知りながら、後ろ手で大きく手を振り
曲がり角まで振り向くことなく、バス停に向かった。

一週間後、母は精神を壊し、
拒食と拒薬で暴れて、緊急措置入院となった。





オトンは何歌っても浪曲唸り節だったけど
唯一英語で歌えたのが「ホワイトクリスマス」で
8月だというのに個室で一緒に歌ったね。もう12月になっちゃった。
実家退去するのに、オトンの冬物ズボンやコートはビッグイシューに
リクエスト間に合わなかった野菜ボーロは、フードドライブに寄付した。
他は何も出来なくてゴメンだけど、落ち着いたら、いつか
手帳にあったメモの続きを果たしたいと思ってる。

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今は、叶うなら、
オカンが東京で暮らせる受け入れ施設が見つかりますよう…

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